その言動の「原動力は何か。」(後篇)

人間関係でも、作業的なことでも

何か上手くいかなかったり、苦しくなってしまっている時は


自らのその行いは
自分の中の何に基づいて発動しているのか?を
よくよく見つめてみてください。

そこに、穏やかでないものがあるはずです。
愛や、喜び、楽しさ嬉しさ、感謝(有難さ)などとは違う、穏やかではない何かが。

発したものは却ってくるのですね。
再び自らに却ってくる。

怒り、悔しさ、怖れ、焦り、不安
欠乏感、罪悪感
プレッシャー、見栄など

怒りを基にした行為は、さらなる怒りを生む
(怒る出来事が起こる)
欠乏感を基にした行為は、さらなる欠乏感を生む
(欠乏、足りない、満たされないと感じる出来事が起こる)

前回のホテルの従業員さんでいうと
彼女の心は「失敗したくない」「怒られたくない」
(プレッシャー、見栄、怖れ、焦りなどが該当するかな。真意は本人のみ知るところです)
これらでいっぱいで、それを基にした行為だったので
結果、彼女は失敗し怒られちゃった。

けれど、その経験も無駄ではなくて
彼女がちゃんと自らを省みて成長していければ
そこにある有難さや、楽しさに気付いて
愛を基に仕事できるようになるかもしれません。 

例えば恋愛が上手くいかないなら
失いたくない
(失ったらどうしようという恐怖心、不安感)
愛されたい、認められたい
(認められてないという欠乏感)
(愛されてないという猜疑心)
などを基にして付き合ってるのかもしれません。

まあ、どう生きるかは本人次第で
本人がそれで良ければ、それで良いのです。

ただ、何かに困ってて
もっと楽に生きたい、もっと楽しく生きたい、もっと自由に生きたいっていうなら
ちゃんと自分の心みつめなよね。
って言ってるんです。

見つめてるのが、いつも人、人、人、になってたら
なんにも解決しないからね。ってことです。
他責の人生、いつまで続けるの?ってこと。
(いやな事があるといつも他人のせいにする。体調が悪いのも人のせい。)

で、自分の心の中のことは、自分にしか分からないんだから。
そこまで、私に教えて貰おうとしないでね。それは依存だからね。
依存したいなら
依存させてナンボの商売してる人を探してくださいな。

本人がより良く生きるための課題は、他人が奪ってはいけないのです。
自分で見つめて、自分で気付いて、自分で経験して、課題を乗り越えて
そうやって学んで、幸せになれるのだから。
(身体の不調も大切なことに気付く為の課題)
(そこを無視していればいつまでも治らなかったり、治ってもしばらくしてまた病気になる)
詳しくは「繰り返す人々。」を読んでね。


けれど、身体が辛くてエネルギー枯渇してたら 
ちゃんと考えるなんてこともできないし 
力が湧かないから、頑張ろうとも思えないし。 
生命力が弱いと、 
例えば不満だらけの生活でも現状維持を望みがちだしね。変わるのが怖くて。 
 
だから、いつもいつもいつも言ってる

そこで、私ができるお手伝いは
お客様の資本である、身体を整えること。生命力を上げること。なんですね。


あ、で、前回の文末の続きなんだけど
(経験や度胸がなくても武装しないで生きられる)
愛や喜びや感謝を基に行動するってことは
別に経験浅い人でも、力がなくても、できますよね。
ビギナーズラックって、あれが良い例です。

有難さ、楽しさ、喜び、嬉しさ、穏やかさ等を基にして行動している時は
武装なんてしてない、他人にどう見られるか、なんて馬鹿みたいなプライドもないはずです。

愛や感謝はね
実は、いつも「そこ」にあるのですよ。「そこ」にね。