実家のピーコちゃん。

実家のピーコちゃん。

生まれてから2年くらい。

肩に乗って人を癒してくれる、素晴らしいヒーラーです。

 

ピーコちゃんは、とっても軽い。

乗ってるのか、乗ってないのか、分からない位に軽い。

 

数年前、野鳥の観察に行った時、ガイドさんが

片手にフエルトで作った鳥のマスコットを乗せて

「コガラ(鳥)は、丁度このくらいの体重なんですよ。」

と言って、私の手に置いてくれた。

掌サイズのフエルト製のマスコット。中には「綿」が入ってるだけ。

 

綿と同じくらいの重量しかない、その身体で、生きている。

脳みそは、耳かき1杯分だって。

 

それなのに、この小さな瞳で、ぜーんぶ見ていて

ぜーんぶ、わかっている。

最大限の愛情を注いでくれている。惜しみなく。

ピーコちゃんに「惜しむ」なんて概念は無いんだろうな。

 

ピーコちゃんが、最高のヒーラーだってこと、改めて実感した出来事がありました。

 

ピーコちゃんは、毎日、ほとんどの時間を

母と一緒に過ごしている。

 

母の肩に乗って。

人間の言葉を混ぜながらお喋りしているから

会話が成立している。

 

私の母は、元々、人の何倍も愛情が必要な女性で

それが十分に叶えられなかった生き方をしてきた。

愛情不足だからとても不安定で、

人の愛情が欲しくて、攻撃的な言動に出る。

泣き叫ぶ子供のように。

 

私は、生まれた時から

母の負の感情の全てを、受け止める役割をしてきた。

たった一人でね。

泣いたり、わめいたり、怒り狂い怒鳴り散らしたりする母。

面白いことに、そんな状態をさらけ出すのは、私に、だけ。

他にも子供はいるし、大人の家族だっているのに。

それは「受け止めて、与えてくれる人」が誰だか、分かっているから。

(ていうか私が元々、ヒーラー体質だからね)

 

母は、このピーコちゃんと出会ってから

ピーコちゃんの泉のようにコンコンと湧き出でる愛情を享受して

思う侭に与えてもらえて、母のハートも愛でいっぱいになった。

 

だから、母は毎日言っている

「ピーコちゃん、ありがとうね。」

「ピーコちゃん、おかあちゃんのとこに来てくれて、ありがとうね。」

愛しくて、泣きそうになるくらいに。

 

そんな姿を、隣で眺めていたある日、母は私に向かって言いました。

 

「ピーコちゃんが来てくれて、こんなに毎日ピーコちゃんのこと可愛がってるでしょ。

お母さん、思った。

お前のこと、こんなふうに可愛がってあげたことなかったよなー。って。

お母さん、良い母親じゃなかった。ダメな母親だったね。ごめんね。」

 

親子の学びを、一つ卒業できたように思いました。

 

今でも、母は、私と会えば

「誰誰がこう言った、ああ言った」と、愚痴のオンパレードを始めるけれど

私は、完全に、そんなの右から左で、笑って受け流せるようになりました。

(今までは、丸ごと受け止めちゃって、心身の病気にもなってたくらい)

(そんな母が許せなくて、憎悪でいっぱいになって頭おかしくなりそうになったり)

「ちょっと!聞いてないでしょ!?」と言いながら

聞いてもらえなくても、楽しそうに、幸せそうにしている母がいます。

 

ピーコちゃん、ありがとうね。